近年、食品ロスや環境負荷の軽減が叫ばれ、持続可能なものづくりが求められる畜産業界。そのサプライチェーンの裏側には、優れた価値を持ちながらも、活用しきれずやむを得ず廃棄されていく多くの副産物が存在しています。福岡県みやま市にある総合食肉卸の株式会社クロキの3代目である黒木千佳さんは今、そんな業界の課題に向き合い、新たなアプローチで命の循環を生み出そうとしています。廃棄される豚脂から化粧品を生み出し、食肉卸の枠を超えたライフスタイルブランドへ。彼女を動かす原動力と、その先に見据える未来についてお話を伺いました。

黒木さん
化粧品開発のきっかけは取引先の相談から
– まずは御社の主な活動について教えてください。
黒木さん:うちの家業は食肉卸です。お肉屋さん、と言うとショーケースにお肉が並んでいて、一般のお客様が店舗で買っていくB to Cの精肉店をイメージされる方が多いのですが、うちはB to Bがメイン。お肉を仕入れて自社工場で加工し、スーパーや飲食店といった法人向けに卸すという仕事を、56年続けている会社になります。祖父が一代目として個人事業主で始めて、2007年に父が法人化し、今の形になりました。
– 食肉卸の会社がどうして化粧品を作ることに?
黒木さん:不思議ですよね。本当に、最初は偶然の相談から始まりました。ある日、取引先で「黒木さん、うちの工場で豚の脂がめちゃくちゃ余って廃棄されて困っているんだ。買い取りに来る業者さんもいるけれど、これを女性の目線で何かうまく活用できないかな?」と相談されました。
私自身、お肉に関わっていながら、そんな風に裏側で大量の豚脂が廃棄されているなんてまったく知りませんでした。詳しく調べてみると、豚の脂にもランクがあり、ラーメン屋さんで使われるような背脂などに対して、そのまま人が食べるには適さない豚脂もあります。これを再度ラードとして精製するところもあるみたいですが、捨てられていることも現実だったのです。
「捨てられているなら、命を扱うものとして何とかしたい」と思ったときに、パッと思い浮かんだのが、私の祖母もよく使っていた熊本発祥の馬油(バーユ)でした。
– 確かに馬油は有名ですが、少しレトロな印象があります。
黒木さん:そうですよね。おばあちゃんが使うイメージが強くて(笑)。日常的に若い人が「買いたい」と思うデザインではないですし、独特の匂いも少し気になります。
でも、効果そのものはものすごく良いことを知っていたので、豚脂で同じようなアプローチができないかと歴史を調べ始めたんです。そうしたら、実は豚の脂って、歴史をさかのぼると昔から人の肌の保護に使われていたことが分かりました。沖縄でも、アグー豚の脂をそのまま髪に塗って強い太陽の光から守ったり、火傷のあとの皮膚を保護するために使ったりしてきた歴史があったのです。
去年、皮膚の保護に使われるワセリンや馬油と比較する研究を行ったのですが、豚脂の保湿力は1.2〜1.3倍も高いという驚き結果が出ました。肌につけてから水分がどれくらい蒸発せずに保たれるかという保水力において、豚脂は圧倒的に優れた素材なわけです。
– 豚の脂に、そこまでの実力があったのには驚きです。
黒木さん:何より面白いのが、豚は人間に近い生き物で、医療の世界でも、人間の心臓の移植や皮膚の移植には、豚のものが使われるくらい人に馴染みやすい。アレルギー反応が起きにくくて、低刺激な素材です。
今、製品化を進めているものは豚脂を中心に成分を極めてシンプルにしていて、そこに地元・みやま市の大黒園さんの規格外山川みかんから抽出した精油や、リラックスできるラベンダーなどの天然100%の香りで仕上げています。
手が足りないからこそ外部を巻き込むのがカギ
– ここまでの道のりは平坦ではなかったのではないですか?
黒木さん:本当に、これまでの3年間で3回くらい、ガチで辞めかけました(笑)。最大の壁は、化粧品用に豚脂を小ロットで精製してくれる会社が、日本中どこを探しても見つからなかったことです。全国の油化会社に片っ端から電話やメールを送りましたが、半分以上は完全に無視。返信が来ても「最低ロット1トンからしか受け付けられません」と言われて……。1トンを精製して化粧品にしたら、一体何万本分のスキンケア商品になるんだっていう話で、個人の新規事業ではとうてい無理だな、と絶望しました。馬油やエミューオイルのラインを持っている会社さんには「同じ製造ラインだと成分が混ざるリスクがあるから絶対に無理」と断られ続けましたし。
「もうダメだ、形にできない」と挫折しかけたとき、地元の商工会や金融機関、有識者に相談したんです。そこからいくつかの施設を紹介していただいて、北九州で豚の胎盤からプラセンタを開発し、化粧品を作っている会社へと繋がりました。そこで、奇跡的に油脂の精製にもの凄く詳しい研究者の方と出会うことができたんです。
– 黒木さんの行動力が人を手繰り寄せたわけですね。
黒木さん:私はとにかく、いろいろな場所で「私、今こういうことがやりたくて!」と喋りまくるようにしています(笑)。そうやって周りに話し続けていたら、今度は信用金庫の当時の支店長さんが、大川市でみかんの皮を精油に変えてくれる会社を繋いでくださって。さらに、補助金の存在を教えてくれる人もいて、それで研究費用や試作費用を賄うことができました。
ただ実は、その途中で北九州の研究者の方が会社から独立されることになって、「あ、終わった……」とまた頭が真っ白になった瞬間もあったんです(笑)。もう精製できなくなっちゃうのかなと。でもその方が「独立して自分で機械を買うので、黒木さんの事業はそのまま引き受けます。むしろ100本とか50本とか、もっと超小ロットで柔軟に作れますよ」と言ってくださって。今振り返っても、人に助けられてばかりの綱渡りでした。
社内にはこの新規事業にリソースを割ける人間が私一人しかいなかったので、いかに外部に仲間を作って、巻き込んでいくかが生命線でした。社内で悶々と悩むのをやめて、とにかく外へ発信し続けたからこそ、今があると思っています。

継ぐ気ゼロから業界を変える決意を持つまでに
– もともと家業を継がれるつもりだったのですか?
黒木さん:いえ、まったく、もはやゼロでした! むしろ父からは「何も気にせず自分がしたいことをしろ」とずっと言われていました。上に姉がいるのですが、姉も何も言われていなくて。父の時代は下請けとしての苦労も多く、景気の波もあって本当に苦しい時期が長かったのです。夜中も休まずに働く両親の姿を間近で見ていたので、正直「なんて大変な業界なんだろう、私は自分が好きなことをやる」と思っていました。
大学では、小学校の頃からずっと興味があった環境問題にアプローチできるビジネスをやりたくて経営学を学び、オーストラリアへ留学してエコツーリズムを専攻していました。環境を学びながら、旅を通じて人に心の豊かさを提供する旅行業に魅力を感じて、現地でインターンシップをしたり、エコツアーを開催している社長さんにインタビューをしたりして、充実した日々を送っていたんです。でも、帰国してすぐに、あの新型コロナが世界中を襲いました。
– それは……就職活動への影響も大きかったのでは?
黒木さん:就職活動は完全にストップしました。東京へ出ようと内定をいただくもいろいろな不運が重なり……。気がつけば軽度のうつ病と不安神経症を患ってしまいました。一時は完全に自信を失って、自宅に引きこもるようになってしまったこともあります。
そんな私の姿を心配した母が、「会社の繁忙期だから、アルバイト感覚でちょっと手伝いにおいでよ」と声をかけてくれて、リハビリのつもりで家業の事務や現場を手伝い始めたのがきっかけです。
最初は病院で処方された薬を飲んでいたのですが、1か月くらい経ったときに「薬はその場の感情を抑えてくれるかもしれないけれど、これを一生飲み続ける生活は根本的な解決にならないな」と気づいたんです。そこから、自分で自分の心を治そうと、心理学や仏教の教えを猛勉強し始めました。
本を読んで「これだ」と思った仏教の言葉や心理学の考え方をノートに書き殴り、ベッドの横の壁にバーッと貼り付けました。貼り付けた言葉たちを、毎晩寝る前にブツブツと読んで脳に刷り込んでいったわけです。マインドコントロールを自分でかけるような感覚ですね。それを1年くらい毎日愚直に続けたら、少しずつ、でも確実に物事の受け止め方がポジティブに変わっていきました。
そうして心が完全に回復したとき、改めて「自分の人生を通して本当に成し遂げたいミッションは何だろう?」とノートに書き出したんです。そこで定義できたのが、「ワクワクを通じて地球を思いやるきっかけ作り」という言葉でした。

– そのミッションが、家業である畜産業と結びついたのですね。
黒木さん:そうです。畜産業って、どうしても地球温暖化のメタンガスの問題など、環境負荷が高い業界として語られがちですよね。子どもの頃、道徳や理科の授業でそういう話が出るたびに、「お父さんの仕事って地球に悪いのかな……」とどこか小さな葛藤を抱えていました。でも、私は両親が畜産業で必死に働いてくれたおかげで、何不自由なく生きてこられました。その恩恵をこの業界から受けているわけです。
だったら、業界を外から批判して終わるのではなく、「自分がサプライチェーンの当事者として中に入れば、内側から何かを変えるアプローチができるのではないか」と思えたんです。それで2022年の秋に正式に入社を決めました。
– ひとつの業界を内側から変えるというのは壮大ですね。
黒木さん:私もそう思います。でも、食肉卸というビジネスは、裏方として日本の食卓を支える素晴らしい仕事ですが、どれだけ良いお肉をスーパーに納品しても、私たちの会社の名前が表に出ることはありません。すべてスーパーさんのマスターシールの名前に変わってしまいます。人口が減少していく中で、名前も知られずに、ただ価格競争の波に飲まれて消えていくのを待つだけの状態というのは絶対に嫌でした。
だからこそ、会社の存在意義そのものをリブランディングすることにしたのです。「自分たちが食べたくないものは絶対に出さない」という、創業から3代にわたって守ってきた約束を「食卓品質」と定義し、これからは食だけでなく、肌につけるもの、暮らし全体を守る「ライフスタイルブランド」へ生まれ変わろうと宣言しました。
その一環として、実はこの化粧品と並行して、もう一つのプロジェクトが動き出しています。熊本の農業高校の生徒さんたちが開発した、豚脂を使った驚異的な洗浄力を持つ石鹸の引き継ぎです。こちらは市販の有名な洗濯石鹸より1.7倍の洗浄力がありながら、使った後の排水を調べたら水質を汚すどころか微生物が増えて綺麗になるという、まさに奇跡のような石鹸です。ただ、高校ではビジネスとして販売することが難しかったので、「私たちが代わりに世の中に広めます!」と手をあげ、製品化を進めています。肌につけるスキンケアよりも、こちらの石鹸の方が一足早く皆さんの元へお届けできるかもしれません。

みやま市に「食と暮らしのテーマパーク」を創りたい
– 黒木さんの活動の今後の展望について教えてください。
黒木さん:私の最終的な夢は、ここみやま市に「食と暮らしのテーマパーク」を創ることです。命をいただくお肉の本当の美味しさを味わえるレストランがあって、そのすぐ隣では本来なら捨てられてしまうはずだった骨や皮を使ったワークショップを体験できる。
「これがダメ、あれがダメ!」と正論で強制しても、人の心は動きません。そうではなくて、「楽しい!」「心地いい!」「カッコいい!」というワクワクする感情のフックを通じて、結果的に「地球や命をちょっと思いやるきっかけ」を、誰もが自然に持ち帰れるようなコミュニティ拠点を創りたいと思っています。
自分がまず人生と仕事を100%楽しむこと。自分が幸せで、心に余裕がないと、人にも、動物にも、地球環境にも優しくなんてなれません。4月からは経営を学ぶために中小企業家同友会にも入会しました。26歳、経営者としては学びの連続ですが、独身で身軽に動ける今のうちにすべてのスピードを上げて、このミッションに人生を懸けて挑みます。
【取材対象者情報】
| 業種 | 卸売 |
| 事業所名 | 株式会社クロキ |
| 担当者名 | 黒木千佳 |
| 所在地 | 〒835-0025 福岡県みやま市瀬高町上庄654-6 |
| 連絡先 | 0944-63-2640 |
| HP | https://www.kuroki-group.com/ |
| SNS | https://www.instagram.com/kuroki_butchershop/ |





